第三話 半魚人が死にかける日

「ただいまー」と言いながらドアを開けると、いつもは「おかえりー」と言い ながら出てくるヤツが、うんともすんとも返事をしなかった。 「…おーい、魚類。今日はスキヤキやでー」と俺が呼んでも、返事をしない。 俺は、あわてて靴をぬぐと、風呂場のドアを開いた。 ヤツは、湯船でぐったりとしていた。 「半魚人!」 俺は、びっくりして半魚人の細い肩をつかんで、ゆさぶった。 半魚人は、抵抗する気配も見せずに、されるがままになっている。明らかに、 顔色が悪い。青白い。そういえば、いつも暖かい風呂場が、今日はとても寒い。 嫌な予感がして、俺は台所へ行って、コンロに火をつけてみた。 チチチチチ、という音はするが、全くつく気配がない。 しまった。銀行に、ガス料金の引き落とし分の金をいれるのを忘れていた。 あわてて風呂場に戻って湯船に手をつけてみると、もうすでに湯船の中の水は、 冷たくなっていた。 「半魚人! お前、死ぬんか!」 ガクガクとゆすぶっても反応はない。首に手をあててみると、一応脈うっては いるが、とても弱弱しい。 「半魚人! 起きろ! 寝たら死ぬぞ!!」 まさか、都会のマンション、しかも自分の部屋でこんなことを言うはめになる とは思わなかった。何とかして、暖めないといけないが、ガスが止まっている 今、この風呂場を暖める術は俺にはない。 俺は、スーツの袖をガバッとまくりあげて、すっかり冷めた湯船に両腕をつっ こんだ。半魚人の体は、意外と軽い。食事は俺の倍食べるくせに。 湯船からひきあげた半魚人は、細くて白い体で、ガクガクと震え出した。 白目をむいている。明らかにやばい状態だ。 俺は、ありったけのバスタオルを持ってきて、ヤツの体をくるむと、居間に 置いてあるストーブの前にひきずっていった。 「半魚人、頼むから俺の部屋で死なんどってくれよー。死体はどうしたら  ええねや。ひきとってもらえへんで? どっか研究所で剥製にされるで?」 俺は、たかだか数千円のガス代を忘れていた自分を責めた。 半魚人が意識がないまま、ガクガク震えているのを見ると、昔飼っていた犬が 死んだ時のことを思い出す。俺は、オロオロしながら1時間ぐらい、体をさすっ たり、ストーブの角度を変えてみたり、声をかけたりしていた。すると、半魚人 がうっすらと目を開けた。まだ震えは止まっていない。 「あ…あああ…」 「おう、半魚人! 俺はここや! 大丈夫か?!」 「…あああ…」 半魚人は、俺に向かって震える手をさしのべてきた。 俺は、半泣きになりながら、その冷たい手を握る。 「あ? 何や。何か欲しいもんあるなら言うてみ? 何でもやったるで?」 半魚人は、震える唇で、ささやくように俺にこう言った。 「…あ……あんた…、人殺しですわー…」 ガクッ、という音が聞こえるように、半魚人はまた意識を失った。 俺は、仕事から帰って、腕まくりしたままの格好で、必死に魚を暖めていた 自分が急に恥ずかしくなり、半魚人の手を離した。 それから3日間。ヤツは寝込んだ。 俺は、一応心配はしていたが、半魚人は時々意識をとりもどすと、呪いのよう に「人殺しー人殺しー」とつぶやくので、元気なのだ、と勝手に解釈して、 仕事を休むことはしなかった。だいたい仕事を休んでも、俺にできることは ない。半魚人用の病院は、無いのだ。俺にできることは、ただ客用の布団に 半魚人を寝かせて、ストーブをつけっぱなしにすることぐらいだった。 4日目の夜、仕事から帰ってきたら、半魚人はストーブの前で一人タバコを 吸っていた。もう血色は良くなっている。 「…おかえりなさいー」 「元気になったんか」 俺がそう聞くと、半魚人はチッと舌打ちした。 「死にかけたっちゅー話でね」 「…悪かったけど…。その…ガス料金、払ってきたから」 「そーでっかー」 半魚人は、恨めしそうに俺を見て、プカァと煙を吐き出した。 タバコは、あいかわらず俺の買い置きだ。 なんとなく、半魚人の不遜な態度に、俺はカチンときた。 「…何や、その態度は。不可抗力やん。怒るなよ。  …だいたい、お湯が出ぇへんなぁ、と思ったら、風呂からあがって、居間で  そうやってストーブにあたったらええ話やないんか」 半魚人は、ゆっくりと灰皿にタバコを押し付けて、火を消した。 「ギリギリの状態やったんで、無理でした」 「は? ギリギリ?」 半魚人は、箱から新しいタバコを取り出して、火をつけ、またプカァと煙を 吐き出した。 「…最近は、俺なりの配慮で、ガス代があんまりかからんように、ギリギリ  の状態で、お湯をつぎたすことにしてたんですわ…。あー、でも…あんたは  知らへんでしょうなぁ。『あー寒いなー。そろそろお湯を出そう。これは  死ぬー』って、お湯出したはずやのに、いつまでたっても水しか出ぇへん時  の、半魚人の恐怖を。気づいたら、体は思うように動かヘんようなって、風呂  からあがれへんようなるし、風呂の温度はどんどん下がっていくし。死ぬ  かもー、という思いが、絶対死ぬ、っていう確信に変わっていくのは、恐怖  ですよ? 意識もどんどん薄れていくし。現代日本で、しかも大都会で、  孤独に凍死する半魚人なんて、情けないやら悔しいやら…」 俺をうらめしそうににらみながら、灰皿に灰を落とす。 「普通は、風呂場に住む半魚人の話自体、聞いたことないからな。そりゃ、  聞いたことないのは当たり前やろ」 俺のツッコミに対して、半魚人はガハゴホと、とてもつらそうな咳をして、 またタバコをふかした。咳をする時に、俺の顔を見ながらだったので、まるで あてつけのようで、少しむかついた。 「…まぁ、当分は金のことは気にせぇへんでええから、許せ」 病人に対して怒るのも何なので、俺は精一杯の誠意のつもりで、そう言って やった。そして、のどに悪いので、半魚人のタバコを取り上げた。 半魚人は、ちょっと驚いて、俺の顔をじっと見つめたあと、カパァと口をあけ て満足そうに笑った。 そして次の日、半魚人は勝手に業者を呼んで、風呂場に浴室暖房機を設置して いた。もちろん費用は俺持ちだ。 弱っている時こそ、外に放り出すチャンスだった、と俺は後悔した。

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