Automatic?

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Rising Sun Rock Festival ツアーへ行ってきました  14日   愛媛出発。高速バスに乗り、東京まで約12時間乗りました。   運悪く、隣に極道っぽいおじさんが座ってしまい、延々と「親は大切にせんとアカン」   「旅行させてもらえるのは、ありがたいと思え」と説教されるはめに。   まぁ、バスの中で眠れるとは思っていませんでしたが、結局5時間ぐらいしか、睡眠   できませんでした。  15日   朝の高速道路を走りながら聴く、PE'Zの「Akatsuki」は、大変良かったです。   寝不足の頭にすごくしみました。   というわけで、すこぶる不調のまま、東京駅に到着。とりあえず、前から行きたかった  「江戸東京たてもの園」へ向かうことにしました。途中で、お茶とおにぎりを買って、   電車とバスを乗り継ぎ、小金井公園へ。この公園の敷地内に、たてもの園はありまし   た。私がついた時は、まだ開園前でして。朝食をとり、警備員さんと世間話をしたり、   犬とたわむれたりして、1時間ほど過ごしました。その時に、コンビニの袋に、朝食   の時にでたゴミをいれて持っていて、公園内のゴミ箱に捨てたんですがね。誤って、   手にもっていたMP3プレイヤー(約3万円)の袋も一緒にゴミ箱へ投入してしまった   らしいです。たてもの園を見てまわり、バスに乗って、東京へ戻るべー、とか思って   ふと手を見たところで、MP3プレイヤーを捨てたことに気づきました。あわてて、   バスを降りたところにあった交番に入り、遺失物届を書いたわけですが、一回ゴミ箱   に入ったものが出てくるわけもなく。小金井公園の管理人に連絡がついた時には、   もうゴミは回収された後でした。   というわけで、かなりブルーになる幕開けとなった旅行でした。   で、まぁ失意のまま東京観光を終え、北海道行きの列車に乗ることに。   乗った列車は、エルム号という寝台列車でした。車内は、二段ベッドが向かい合った   状態で、2つずつ並べられている寝台でして。4人一組で一部屋、という感じになって   いました。一人旅だった私は、「自分以外3人が、グループとかだったらどうしよう」   とドキドキしていたのですが、運のいいことに、私以外の3人の方も一人旅でして。   事前にネットで「車内でもりあがりましょう」と約束していた人を加え、5人で、   トランプをしたり、「このアーティストは見るべき」と話し合ったりして、大変楽しい   時間を過ごすことができました。  16日   で、そのハイテンションのまま、北海道に到着。日焼け止めをきっちり塗って、会場に   到着しました。まぁ、行った瞬間に、ドコモの携帯電話が使えなくなってしまい、   荷物をテントに置かせてもらう約束をした、がるさんと連絡がつかなくなりました。   私は、一発目のガガガSPが見たかったのですが、携帯が使えなくなってはどうしよう   もありません。泣きそう。素で泣きそう。まぁ結局、ステージ開演まで残り20分、   というギリギリで、やっと連絡がつき、ビールで乾杯できたわけなんですがね。   「がるさん、はじめまして! 乾杯! あ、ガガガはじまるんで、それではこれで!」   と、ビール一本を、5分で空けてステージに向かいました。   今思うと、それが初対面の人間に対する態度なんでしょうかね。ごめんなさい。   で、ガガガSPです。   「お前ら、ドラゴンアッシュ見んでええんかー? 本当にええんかー? よっしゃ、   なら楽しんでいってくれっ!」と、のっけから飛ばしてきたガガガSP。自分の   恋愛遍歴を、歌の紹介に変えて一曲終わるごとに叫んでいました。線香花火、卒業、   自衛隊に入ろう、など、けっこうみんなで歌えてもりあがる歌を歌っていたため、   会場はダイブの嵐。途中、「モッシュで前のフェンスがやばいらしいから、みんな   2歩ずつさがってくれ」という注意が入るぐらいの盛り上がりでした。   私はここで、開演前に一気したビールが、体中にまわってしまい、もうかなりでき   あがってしまいました。ガガガが終わった後、まっすぐ歩けないぐらいに。   まぁそんな盛り上がりのまま、ガガガSPは終わり、「最高!」と叫びながらテント   を後にする人が多い中、KICK TH CANCREW のステージへと、私も移動しました。   しかし、もうアルコールで気分悪いわ、ガガガでもまれて体力無いわ、で、力つきて   ステージもろくに見えない、後ろの方で見ることにしました。音と、大画面に映る   映像で楽しむ感じです。キックザカンクルーは、一曲目から「マルシェ」で盛り上   がっていたみたいですが、私のまわりはあまり盛り上がっておらず、ちょっと寂しい   思いをしました。「あがってーる!」とかやりたかったんですが。そんな元気は、   もうありませんでした。   1日目は結局、ガガガSPでほとんどの体力の半分以上を使ってしまい、ほとんど   後ろで見るはめになりました。ハイロウズ終わったら力つきて、KEMURIが見れ   ませんでした。残念。   ちなみに、モンゴル800の時に、あきこさんにお会いすることができたのですが、   途中ではぐれてしまいました。バッヂくれたのに、ろくろくお礼もいえなかったこと、   ここで謝罪いたします。ごめんなさい。そしてありがとうございます。   で、この日は本当はホテルに泊まる予定だったんですが、どうしてもトラベラーズを   見たかったので、頼み込んで、テントに泊めてもらうことにしました。ハイロウズが   終わった後、あるネットのオフ会に参加して、ジンギスカンとか食べて、しこたま酒を   飲んで、酔っ払ったところでトラベラーズへ行ったので、もうかなり踊りました。   まぁ寒くて、体を動かしたところで、さらに酒を煽っていたので、途中で酔いつぶれて   しまい、トラベラーズが終わった瞬間に、干草にもたれて寝てしまい、目が覚めたら、   ステージ上はなぜか中村達也が一人でドラム叩いていた、という状況になっていたん   ですけれどね。…DJ出なかったの?  17日   前日に、泥酔して外で寝てしまったため、目が覚めたら体中が痛い。っつーか、寒い。   しかも、同じテントの人の布団を、思いっきりぶん取っていました。何やってんねん、   自分。目が覚めて、まずはじめにしたことは、1日目の反省でした。そして、テント   を貸してくれた人に謝罪。「二日目は、ミッシェルが 終わるまではお酒を飲ま   ない」と心に決めました。で、お風呂入りに行きがてら、ドライブしたり、着替えたり、   会場内の屋台で朝食・昼食を食べたりしながら、ライブ2日目へ行きました。   今回、「ミッシェルの時まで体力を残す」と決めていたはずなのに、ふたをあけて   みれば、一発目に見たニートビーツがかっこよすぎまして。気がつけば、体力を使い   きらんばかりに、ツイストをずーっと踊っていました。もう思い残すことないわー!   みたいな。そして、その後のデキシーザエモンも、それに続いてずーっと踊り続けて   約2時間。キングブラザーズの途中で力つきて、ちょっと気分が悪くなってきたので、   抜け出して、ロッキンイチロウの方へ行きました。   で、スカパラです。モッシュピットが閉鎖されかけているところに、滑り込みで入って、   人の流れに乗って前の方へ行くことができました。スカパラは、けっこう初心者向け   のセットリストで、ノリやすく、まわりの人たちとスカダンスを踊りっぱなし。   終わった後、けっこう太ももがパンパンになりました。ちなみに途中で奥田民生が   登場したんですが、その時にこけてしまい、太ももにアザができてしまいました。   ミッシェルまでに体力を温存するという、誓いは、一体どこに(略)   スカパラが終わった後、東京NO.1ソウルセットを見に、もっと前へ行きました。   私はソウルセットを知らなかったんですが、列車で一緒になった人たちが、「ソウル   セットは本当にいい」と言っていたので、楽しみにしていました。   マジ良かった。   何でも、3年間休止していて、去年復活したらしいんですがね。もう、本当にかっこ   よかったです。前の方で見れてよかった。MCで、「これからも頑張っていくんで」   みたいなことを言っていて、隣にいたソウルセットのファンらしき女の子が、号泣   していました。うん。ファンじゃない私でも、ちょっとジーンときました。   「夜明け前」と「ヤード」という曲は、CDを買おうと心に決めました。   で、二日目の(私の中での)メイン、thee michelle gun elephant です。   今回は7曲やったんですが、ドロップ、ベイビー・スターダスト、ダニーゴー以外は   全て新曲でして。モッシュやダイブを期待していた人には、ちょっと物足りなかった   ようです。私は、はじめ最前列近くにいたんですが、耳元で歌われるわ、押されて   (モッシュではなく、本当に押し合い)苦しいわ、ステージ見る余裕が無くなって   きたので、ベイビースターダストの途中から、後ろにさがって見ていました。いや、   本当に、蝦夷まで見に来たかいがあったなぁ、というステージでした。でも、終わった   後、「え、嘘! もう一曲ぐらいやってよ!」と思う物足りなさはありました。   ステージの衝撃と物足りなさで、終わった後、しばらくモッシュピットから動けま   せんでした。いや、本当にすごかった。個人的な見解から言うと、今回のセットリスト   は、ミッシェルを全く知らない人か、初期から知っている人が、楽しめるセットリスト   だったんじゃないでしょうか。フェス向きかどうかは、評価が分かれると思います。   私はうれしかったです。   で、まぁ「ミッシェルすごかったー」「いや、あのステージはどうだろう」「新曲、   初期のミッシェルに戻っていたねー」と、ミッシェルのステージの是非や、新曲の   感想をファンの人たちと話し合いながら、夕食を取りました。ジンギスカンと、   牛肉の固まりバーベキュー。そして、酒。この時のお酒は、本当においしかった   です。蝦夷にきたんだなぁ、と思いつつ、悦にはいっていました。で、しこたま   酔っ払った後、井上陽水をそこにいた人たち、数人と見に行くことに。   陽水は、何て言うか、今回のベストアクトといえると思います。集客数は、一番   でした。曲が終わった後、歓声を出さずにいられませんでした。   一曲目が傘が無いだったのですが、「都会では」と第一声を出した瞬間に、もう   鳥肌もの。若い人が主人公の歌ばかり、7曲ぐらい歌って、最後に「最後のニュース」   を歌って終わりました。魂ぬかれそうになりました。客の期待を読んで、なおかつ、   その期待以上のことをするのは、本当に「天才」としか形容することのできなかった   ものだと思います。月の下で聴く少年時代には、涙ぐんでしまいました。   曲聴いて動けなくなったのは、久しぶりでしたよ。   で、陽水で魂ぬかれたまま、MO'SOME TOMNEBENDER へ。一曲しか知らなかったのです   が、普通にいいステージでした。途中でお酒を買いに抜け出そうとしたのですが、人が   多くて、抜け出せませんでした。音を聴いて集まってきた人が多かったみたいです。   最後のあたりは、ステージにくぎづけになっていて、ライブハウスで、もう一度見たい   と心底思いました。今回は遠目でしか見れませんでしたが、かっこよかったです。   そしてクレイジーケンバンド。一曲目から「GT」で、もう頭の上で手拍子しながら   飛び跳ねました。「ジェントル! ジェントル!」とか、「ヨコワケハンサムボーイ」   とか、そういう言葉を叫びながら飛び跳ねる夜10時は、大変楽しかったです。本当   に盛り上がり、最高に楽しい時間でした。これもワンマン行きたいと思いました。   このバンドのダンディさは、なかなか形容しがたいものがあります。   その後は、しばらく休んで体力を回復した後、LOSALIOS、ROSSO 、そしてWEEKEND   LOVERSの繰り広げる RED STAGE へずーっといました。ロザリオスがかっこよすぎて、   前へ行き過ぎてしまい、ROSSO では、窒息しそうなぐらいの圧迫を受けるはめに。   結局、ミッシェルと同じように、途中で後ろへ下がりました。ROSSO は、なぜか   ドラムがミッシェルのクハラさんで、シャロンとモータープール以外は、全て新曲   でした。最後にトキエさんと武田真治(ロザリオスのメンバー)が出てきて、5人   でセッションしていたんですがね。チバが酔っ払っていたのか何なのか。いつまで   たっても曲を終わらせないので、最後、クハラさんがスティックを客席に投げて、   曲が終わる前にステージから帰ってしまいました。そしてそれを見て、チバが逆切れ   したように、曲を終わらせないまま、ステージを後に。残された3人も、次々とステー   ジを降り、中途半端なままセッションは終わりました。まぁそれはそれで面白かったの   ですが、見ている方としては、「…はぁ?」という終わり方だったと思います。   まぁ、あとのセッションは、「中村達也VS酔っ払い」という感じで、スカパラとか、   遠藤ミチロウとか、トラベラーズとかが、好き勝手に出てきて、好き勝手にセッション   して、好き勝手に帰っていく、という感じでした。ノンストップ。中村達也はステージ   を一度も降りず、延々とドラムをたたき続けていました。夜3時をこえたあたりで、   とうとう誰も出てこなくなり、スカパラのギター、加藤さんと二人で演奏していたの   ですが、途中でいきなり達也さんが立ち上がり、加藤さんの肩をつかみました。   え、と思った瞬間、マイクを通さないのに、後ろの方まで聞こえるような大きい声で、   「大丈夫か!」と叫ぶ声。どうやら、加藤さんがトランスしたのか、寝ちゃったのか、   やばい状態に陥っていたらしいです。結局、加藤さんも1時間ぐらいしたら、ステージ   上に出てこなくなりました。で、中村達也が「次の人どうぞ」と言いつつ、延々と   一人でドラムを叩きつづけ、次のセッションを待っていたんですが、30分後に力   尽きて、終了。踊るにしては、リズムが変わりすぎてついていけないし、聞き惚れる   にしては、気温が寒くてどうしようもないし、と、けっこう微妙な4時間でした。   私は、途中1時間ぐらい、酔っ払って寝てしまいました。   ちなみに、このセッション中に、泥酔状態のチバが、「ブルースは何で青いか知ってる?   知ってる? 寂しいから青いんだぜーっ!!」と、もう赤面ものの言葉を吐いていま   した。ベストアクトは、遠藤ミチロウ。井上陽水の傘が無いを、シモネタ満載の変え   歌で、「俺のケツが〜」とか歌っていました。かなり笑いました。ミチロウ最高。   ちなみに、私はちょっとしか見れなかったんですが、一日目のTOUCH-ME で出た時は、   「ファック! ファック! 温泉ファック! 温泉ファック!」とか叫んでいたらしい   です。見たかったーーー!!   で、4時半ぐらいにWEEKEND LOVERS が終わったので、とりあえずオフ会した人たちの   所に戻り、最後の別れで「来年もここで」と、乾杯。徹夜明けの酒は、かなり染みま   した。   そして、最後の THE BOOM を見に、ステージの方へ。私が行った時は、もうすでに   モッシュピットは閉鎖されていて、結局後ろの方で見るしかなかったのですが、   朝日がのぼり、青空の下で聴く風になりたいとか、島唄とかは、もうかなり脳細胞   を癒してくれました。   「一緒に朝を迎えたんだから、もう他人じゃない」とかMCで言われて、死ぬなら、   今ここだな、と思いました。   というわけで、RISING SUN ROCK FESTIVAL は、こうして幕を閉じました。   お世話になったがるさんにお別れを言い、ツアーのバスに乗り込んだ時は、もう泣き   そうになりました。来年まで、待てない。  18日   まぁ、WEEKEND LOVERS の時に、すでに18日にはなっているのですが。RSR後と   いうことで。   もう泥だらけで、髪の毛が土ホコリと汗で、パリパリになっている状態で、泥のよう   に眠りながら、ツアーバスで銭湯に向かいました。列車で一緒になった人たちと、   「おつかれー」と言いつつ、風呂へ。髪の毛は、3回ぐらい洗って、やっと元の状態   に戻りました。体も、もう石鹸がなかなか泡立たないぐらい、泥だらけ。   耳や鼻も、大変な状態になっていました。1時間ぐらいかけて、きれいになった後、   休憩室で昼寝。10時から昼の2時まで、そこの銭湯(健康ランドみたいなところ)   で過ごしたんですが、あまりにも気持ちよくて、集合時間を寝過ごしてしまい、危うく   ツアーバスに乗り遅れそうになり、バスの発射時間を遅らせてしまいました。うん。   ごめんなさい。マッサージ機の上で、爆睡してた。   その後は、列車で一緒になった人たちと、北海道観光へ行きました。卸市場へ行って、   御土産用のカニや、ホタテ、ウニを買いまくり、散財。そして、時計台や大通り公園   を観光したり、海鮮丼を食べたりと、短いながらも、北海道を堪能しました。列車に   乗った後も、お酒を持ち込んで、延々と「陽水良かった」「モーサムが」「ソウル   セット、最高」「デキシーが」と、RSRの感想を肴に盛り上がりました。大変たのし   かったです。深夜まで起きて、「青函トンネルきたー! …かな?」とかやっていま   した。徹夜明けなのに、全く眠くならなかったのが不思議です。  19日   列車の窓から、切ない思いで、東北・関東の町並みを眺め、東京へつきました。   列車内で仲良くなった人たちと、連絡先を交換しつつ、「また来年!」と円陣を組んで、   愛媛へ。体力が限界をこえており、筋肉痛で体中が痛かったので、高速バスをキャン   セルして、台風の中、飛行機で愛媛に帰りました。揺れるかなぁ、と思ったんですが、   そんなに揺れずにあっという間に四国についてしまい、ちょっと寂しかったです。   飛行機の上から見た、雲海を落ちる夕日は、大変きれいで、切なくなりました。   ちなみに、帰る前に新宿に寄って、東京NO.1ソウルセットのCDを買いました。   やっぱりいいなー。またライブ見たいなー。  というわけで、まぁ本当に、「こんな旅でした」という報告だけになってしまいまし  たが、来年もまた行きたいなぁ、と思う旅でした。というか、RSRは、本当に良かった  です。書ききれませんでしたが、列車内の人や、このHPを見てくださっている方以外  にも、スカパラの時に一緒に踊った人や、WEEKEND LOVERS の時に、一緒に乾杯した人、  トラベラーズの時に、干草の上で「星見えないねー」とか話した人などなど、たくさん  の名前も知らない人たちと出会えたこと、本当に嬉しく思います。  ありがとうございました。  正直、「今年は学生最後だから、もうRSRに行けるのは、最初で最後だろうな」と  思って行ったんですが、終わった今となっては、「来年、RSRに行けるよう、頑張ろう」  という決意に変わりました。仕事頑張ろう。  2003年に、必ず蝦夷へ。多分、今度はthee michelle gun elephant が出なくても  いくと思います。

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