09月前半

 −0901 救援物資箱の存在−
 まぁ私、サイトウは、いわゆる国立大学、というヤツに所属しているわけなんですが、  私立大学と比べて大きく違うのは、「苦学生」が多い、ということだと思います。  それを表すものとして、代表的なものが、サークルに行くとゴミ箱と一緒に並んでいる、  「救援物資」と書かれたダンボール箱です。そのダンボール箱は、その名の通り「救援  物資箱」といいます。中には、食べかけのお菓子や、米。サークルに持ってこられた  土産物の残りなどが入っています。これ、どうするかというと、学費や部費、飲み会代  の支払いで困窮して、今日明日の食べるものにも困っている部員が持って返って、収入  が入ってくるまで食いつなぐんですよね。まぁ、普通入っているのは、米とお菓子です。  たまに、一人暮らしの人が実家から送られてきて、もてあましたんだろうなぁ、という、  魚の干物とか、何語か分からない言葉で書かれているお菓子とかが、入っていることも  あります。一度、サークルで当時人気だった先輩が困窮した際には、米、パスタに  加え、手作りのお菓子、手料理、新巻鮭、酒で埋め尽くされ、箱から溢れ出んばかりの  物資が集まりました。たまに、トイレットペーパーなどの生活必需品も入っています。  つまり、救援物資箱は、苦学生の強い味方なのです。学祭や合宿など、ガンガン金が  飛ぶ、大きな行事があるたびに、この箱が大活躍するわけです。  えー。で、まぁ今日、福岡県に住んでいる、就職活動中に知り合った友人とメールして  いたんですけれどね。その友達に、ふと救援物資箱の話をしてみたんですよ。  話、噛み合わなかった。  「私、国立大学だけれど、そんな箱無いよ?」  「マジで? …うちの大学だけ?」  「いや、あなたのサークルだけなんじゃないかな」  インターネットで検索しても、「救援物資箱」は見当たらずじまい。  え、これ、愛媛だけの文化? と思って、隣の大学の友人にメールを送ってみたところ、  「そんな話は聞いたことが無い」ということ。えー!  もしやと思い、うちの大学の人間にも聞いてみたんですが、知っている人間は、知り合い  全体の2割程度でした。あまりにも当たり前だと思って、今まで聞いたことも無かった  のが仇となったわけです。…まさか、このような素晴らしい文化が、実はマイナーな  ものだったなんて!  まぁでも、救援物資箱というのは、廃れゆく文化なのかもしれません。最近、私のサー  クルにある箱も、中身が入ることが少なくなり、どんどん小さいダンボールへと変わって  いっております。部員が増え、飲み会の数が減ったことで、部員同士の縦横のつながり  が減り、救援物資を送るような関係じゃなくなってきたのが、原因だと思います。  部員の中には、この箱の存在を知らない人も増えてきたのではないでしょうか。  消えてほしくない文化。救援物資箱。  もしこれを読んでいる方で、自分のまわりには苦学生が多いなぁ、という方は、ぜひ  この箱を活用してほしいと思います。  ちなみに今日、久しぶりに部室へ行って、救援物資箱をのぞくと、エッチな本が10冊  近く入っていました。いや、それも救援物資だろうけどさ!



 −0908 帰還−
 こんばんは。皆様、いかがお過ごしでしたでしょうか。沖縄から帰ってまいりました!  サイトウです!  一日目   船中泊。みんなで、荷物の大きさを比べながら、「何でそんなに重いんだ」「写真部   合宿なのに、カメラを持ってこないのは、どうだろう」とか、そんなことを言いつつ、   トランプして遊びました。  二日目   福岡から飛行機で沖縄へ。本当はその日のうちに島へわたる予定だったのですが、   島の観光課に電話したところ、「え、来るんですか? 台風来ますよ? 多分、今日   来ることは可能ですけれど、5日は帰れませんよ?」と、すごく不思議そうに言われ   たため、座間味島観光は中止になりました。結果、「今日泳がないと、一生後悔しそう」   と、那覇のビーチで、「台風来るので、あがってください」という監視員をふりきり、   泳ぐことに。波は高かったし、海はにごっていましたが、それなりに満喫しました。   夜に沖縄料理を食べすぎて、泥酔。吐きました。一日目から部員の不興をかいまくり。  三日目   台風上陸。午前中は何とかなりそうだったので、レンタカーで沖縄南部をまわって   みたのですが、途中から、シャレにならない豪雨・暴風に。「車が風で流されそう」   という運転手の言葉に、戦々恐々としながら、ホテルへ戻りました。すると、そこで   ホテルの人に言われた言葉が、コレ。   「あと2時間以内に、ホテルのドア・窓は全て閉じるので、それまでにゴハンを食べて    きてください。ちなみに、もう店は閉まっていると思うけれども」   どうしろと。   しょうがないので、他にユースホステルに泊まっていた5人の人たちと、協力して、   ホテルの管理人さんに車を出してもらい、豪雨の中、またドライブ。数百メートル   先のスーパーで、お惣菜を買いこんで、みんなで食べました。   「あ、ちなみに夜は断水するかもしれないんで、早めにシャワーを浴びてね」   まさか、愛媛以外の場所で、断水の心配をすることになるとは!   FMラジオから、「窓ガラスにテープを貼っておくと、割れた時に飛び散りません」   という、妙な情報が流れてくる中、ボソボソと夕食を食べて、トランプをしました。   台風は、本当に窓を割りそうないきおいで、暴れていました。  四日目   豪雨&暴風で、ドアを開ければドアが吹っ飛ぶ恐れがあるため、午前中はホテルから   脱出不可能でした。仕方が無いので、後輩のかわいい男の子を、無理矢理メイクして   女装させたりしたものの(彼は、その後数時間、強姦されたようなショックを受けて   いました)、「沖縄に来たのに、何をやっているんだろう」と思いで一杯に。   で、昼食あたりで、ようやく風が弱まり、ホテルの人から外出許可が出たのを機に、   みんなで外へ出てみることにしました。ホテルの人に聞いてみると、「近くに沖縄食堂   があるよ」とのこと。500メートル程度の距離らしいので、サンダルに、ユースホステル   の防水ジャンパー、といういでたちで、外に出てみました。5秒で、向かい風が吹いて、   傘が、マンガみたいな壊れ方をしました。ビニールが吹っ飛ぶところを、正直はじめて   見ました。また、強風でふんばっても、サンダルがすべり、ずるずると後ろへ下がって   いくような状況のため、もうみんな、「死ぬな」「目を閉じると危険」「帽子は無駄」   と、普段絶対口にしないような言葉を吐きながら、500メートル先の食堂へ。   着いた瞬間、もう疲れきって口も聞けませんでした。沖縄、すげぇ。   結局、午後になり、風がさらに弱まり、後輩達は国際通りへ買い物に行ってしまっても、   私はユースホステルに一人旅で来ていた人たち5人と、トランプをしていました。   合宿って何だろう。で、5時間ぐらいトランプをした後、ノリで、トランプゲームの   敗者が、近くのコンビニまで夕飯を買いに行くことを賭けて、ゲームをするこことに。   しかも、そのついでに、「男の髪を守る会☆148」という名前で領収書をもらい、   それをトランプ参加者の人数分(5枚)コピーしてくる、という罰ゲームをする羽目   になりました。   沖縄に来ても、メンバーが変わっただけで、やっていることは変わりません。   結局、関東から一人で来た男の子が、その罰ゲームを味わっていましたが、明らかに、   沖縄での思い出の作り方が間違っていた気がします。様々な疑問を覚えながら、彼が   買ってきたコンビニのお弁当を食べながら、深夜までその5人で、飲みました。  五日目   ホテルの精算を済ませ、前日と比べると、かなりおだやかになった天気の中を出発。   折れた街路樹や、飛んだ看板が、そこかしこに散らばる中、殺伐とした思いで、   国際通りへ。とりあえず、一時間の自由時間で、「沖縄には買い物しにきたような   ものだった…」と思いつつ、店をめぐり、お土産を購入。空港では、台風のため、   飛行機が飛ばず、チケット待ちの人が難民のように、そこかしこで寝転がっている   状態で、「紫イモアイス」などを食べつつ、さらに土産を物色。もう本当に、外は   豪雨だわ、中は人でごった返しているわ、この世の地獄のようでした。裏沖縄?   みたいな。で、そんな中、飛行機が30分遅れはしたものの、無事飛び、福岡へ。   小倉で、今まで遊べなかった鬱憤を晴らすように、遊びまわりました。  六日目   五日目の夜に、泥酔してさらに迷惑をかけてしまったため、後輩に口を聞いてもら   えず、解散。今朝帰宅。泥のように眠って、夕方にようやく目が覚めました。  総括   去年の9月に、石垣島へ行った時は、「沖縄史上最長滞在時間」といわれた、台風が   ずっと居座っていました。そして今回は、「沖縄観測史上、二番目の強い台風」に   遭遇しました。今まで3回、沖縄には行ったものの、そのうち2回が、記録的な台風   に遭遇する、というのは、何か間違っているような気がします。   でもまぁ、トランプやった人たちと、「来年も今の時期にこのユースホステルで!」   という約束したので、来年もこの時期に行きそうな予感がします。いっそ、10月3日   に那覇である、thee michelle gun elephant ライブへ行きたいです。



 −0910 英語リアン−
 外国人が、バイト先にやってきました。  いや、別に、外国人自体は、そんなに珍しいことではないんです。  うちのバイト先というのは、松山でも有数の観光地にある、ちょっと大きめの土産物屋  のため、外国人がやってくることも、珍しくはありません。一日十人ぐらいの割合で  見ることができます(松山での平均外国人遭遇率は、1日に1人会うか会わないかぐらい  です)。最初は戸惑っていましたが、フレンドリーな彼らに、警戒心や脅威を感じる心  なんて、どこかへ行ってしまいました。  しかし、今日の外国人は、何か難解な言葉をずーっと話していました。  いつも、「オミヤゲ、クダサーイ」とか、「オンセンハ、ドコデスカ」とか、笑顔で  語りかけてくる方達とは、どこか違います。よく見れば、腕にはいかついタトゥー。  筋骨隆々。暑いといえども、もう初秋に入ろうとしている時期に、タンクトップ。  そしてスキンヘッドに、耳にごっついピアス。まゆ毛無し。明らかに、危険な香りを  マックスで放っています。  「サイトウさん、大学生ですよね☆ 何とか、話してみてくださいよ♪」  サイトウが、いけにえにされました。  自慢じゃありませんが、英語の成績なんて、話にもならなかったよ!  しかし、私の意見など無視され、気がつけば、もう店員も客も遠巻きにながめているよう  な状況で、猛々しい外国人と二人っきりで対峙させられてしまいました。何か言わない  わけにもいきません。  「め、メイアイヘルプユー?」  「オーウ、ペラペラペラペラ」  「さっぱり何言っているか分からないんですが…あははは。パードゥン? アイキャン   スピークイングリッシュ、ア、リトルリトルリトル」  「オー、アッハッハッハ!! ベイビー! ウアッハッハッハッハ!!」  何だかよく分からない、怒りにとらわれました。  で、何とか意思疎通をはかろうと、筆談までしてみたのですが、さーっぱり言っている  ことが分かりません。お手上げ状態です。サイトウ、もう異文化交流無理。  いかついガタイの外国人は、自分の質問に答えてくれない日本人に切れたのか、イラ  イラした顔つきになっています。正直、今までにない緊迫感が、バイト先の店内を  包み込みました。「サイトウの役立たず」と、小声で囁く同僚に、殺意が芽生えます。  「ウーアー」と、言葉が出て来ない私の後ろから、その時―――  「メイアイヘルプユー? ペラペラペラペラ」  救世主が現れました!  外国人のダンディなオジサマです。ひとしきり、二人で何かを話した後、私の方を向き、  にっこりと笑ってくれました。もう、この時、本気で抱かれてもいいと思いましたね!  この外国人に! もう、妾でもいいよ、とか言いそうになっていました。  「アー、ペラペラペラペラ」  人生そんなに甘くありません。彼も、日本語喋れませんでした。  まぁそれで、何とか簡単な単語で話してくれるオジサマのおかげで、やっと、マッチョ  と意思疎通がはかれることができたんですけれどね。彼が必死で言いたかったこととは、  「今日クラブイベントがあるんだけれど、一緒に行く相手がいない。誰か相手はいないか」  ということだったそうです。そんなもん、土産物屋でさがそうとするなよ!  で、まぁその件は、小一時間ぐらいかけて、やっと一段落ついたわけなんですが。  家に帰って、久しぶりに勉強するか、と、英語の辞書を取り出したら、エッチな単語に  全て蛍光マーカーがひいてあり、すぐにやる気をなくしてしまいました。すごくブルーな  気分。自分でやったこととはいえ、やりきれない思いで一杯です。こんなことばっかり  していたから…。していたから…!



 −0912 親子ケンカ−
 温泉旅行に行きたい。サイトウです。  本日サイトウは、親と大喧嘩してしまいました。  まぁキッカケはささいなことでして。  先日、父に、「MISYAのEverythingという曲が気に入ったから、買ってきてくれ」と  頼まれたんですよね。で、とりあえず3日放置しておいたところ、「MISYAはまだか」  と再度催促されたので、「あぁ、これは本気で欲しいんだな」と判断して、買ってきた  わけです。MISYAを。わざわざバイトが終わった後、5キロ先のCD屋まで行って。  「ありがとう。じゃぁ!」  親父、商品渡しても、金を払いやがらねぇ。酔っ払って、いい気分なのか、払うのを  しぶっていやがります。まぁ、いつもの私なら、「まぁ、また今度、機会がある時に  払ってもらおう」と、早々にあきらめるんですけれどね。今月は、大学入学して以来、  未曾有の金欠です。CD代を払ってもらえなければ、全くシャレにならない状態になる  のです。  「お父さん、CD代を払ってよ。600円(←古CD屋で購入した)!」  父の腹の上に乗り、手を出すと、父はため息を深々とつきました。  「…お前は交渉が下手だ。そんなことでは、社会人として一人前にはなれない」  …はぁ? と呆然とする私、そっちのけで、父はその後、10分に渡って、長々と  「貧乏な時こそ、『損して得とれ』という心を忘れてはいけない」という説法を説いて  くれました。つまり、ここで600円をあきらめることで、それを恩に感じた父がもた  らす、莫大な利益をとれ、と。あぁ、そりゃぁすごい。確かに損をして得をとる、と  いう方法は、ビジネスの中では大事なんでしょうな。もうすぐ社会人になる私の脳に、  消えないように刻み付けたい言葉ですよ。えぇ、刻み付けました。刻み付けたから、  600円返せ。今は損をしているような余裕は無いんです。  というわけで、具体的に、現在の自分の状況を訴えることにしました。紙幣が全く  入っていない財布片手に、「今月22日に、私はthee michelle gun elephant の  広島ライブへ行くんです。今月は金欠のため、念入りに計算して、なんとか予算を  組みました。現時点で、私は毎昼食代を削るために、毎朝お弁当を作っています。  買う時も、一食200円以内におさえております。そこまでして、予算ギリギリです  ので、もしここで、あなたに600円を返していただかずに、あなたがいつもたらす  か分からない、その『恩恵』とやらを待った場合、確実にホテル代が足りません。  そうなると、広島のゴミ捨て場で野宿する羽目になるんです。9月といえば初秋。  凍え死ぬ危険を犯すぐらいなら、その『莫大な恩恵』とやらをあきらめます」  切々と、今の自分の状況を訴えたのが聞いたのか、父はうんうんとうなずいてくれました。  あぁ、やっぱり21年間親子をやってきただけはあります。わかってくれたようです。  いや、その時は、分かってくれたと思いました。  しかし、父は次の瞬間、信じられない言葉を吐いたんです。  「つまり、そのミッシェルなんちゃらのコンサートへ行くのをやめたらいいわけだ」  「違うだろ、コラァッ!」  まさか、もうすぐ22歳になろうとするのに、親と殴り合いのケンカをする羽目になる  とは思いませんでした。ううう…600円…。  もう、お父さんのおつかいなんて、絶対しないんだから!(本日の捨てゼリフ)



 −0915 モンゴル800最高−
 昨日は、昔のバイト先の友人達と飲みに行ってきました。  まぁ、今回は、メンバーの就職祝いと、仕事お疲れ会だったはずなのですがね。  飲み会の途中で、その参加者の一人が失恋してしまい(携帯電話って便利だね!)、  突如「Aちゃん頑張れ会」に変更してしまいました。  「Aちゃんなら、絶対いい人見つかるよっ!」  「がんばれ、Aちゃんっ!」  まぁ、失恋した人にかける言葉は、「がんばれ」ぐらいしかないんですが、それでも  何も言わないよりかはマシです。みんな、お酒を飲みながら、口々に元気づけました。  Aちゃんも、それで少しは立ち直っていました。しかし、なぜか二次会では、そんな  Aちゃんの傷口をえぐる歌ばかりが歌われていました。失恋ソングメドレー?  みたいな? いや、ほら、失恋してカラオケで泣くって、何か青春っぽいじゃない?  それも、友人なりの優しさ? みたいな?  一人が『何も言えなくて…ただ愛してたから…』と、J-WARKを歌うと、もう一人が、  『大好きだったけどー 彼女がーいたーなんてー』と、ジッタリンジンを歌う始末。  もう、失恋ソングをどれだけ歌えるか、の競い合いみたいになりました。途中から、  Aちゃんも開き直ってきたのか、テレサテンをソファの上に立って熱唱する始末。  収集つかねー。で、まぁスピッツの『チェリー』を歌ったあたりで、残り時間が10分  ということもあり、そろそろ停戦条約を結ぼうと。みんな、仲良くやろうよ、という  ムードになりました。酔いが覚めてきた、ということもあります。  「私、モンゴル800が聴きたい! 『小さな恋の歌』と『あなたに』が聴きたい!」  Aちゃんのリクエストに基づき、それをみんなで歌うことになりました。  ♪人に優しくされた時 自分の小ささを知りました〜  どんな失恋ソングでも泣かなかったメンバーが、モンゴル800で涙ぐみそうに!  ほら、あなたにとって、大事な人こそ、すぐ側にいるのよ! みたいな。  もう、マイクをまわしながら、メンバーで「どうする? これ」「どうしよう、涙止まら  ない!」「モンパチ最高!」「最高モンパチ!」「ライブ行きたい!」「愛媛大学学生祭  に来たらいいのに!」「あぁもう、モンパチ最高!」と、大騒ぎでした。残り10分で、  2時間分の楽しさを使い切った感じでした。終わった後も、ずっとモンパチ最高を唱え  続ける始末。かなり盛り上がりました。  えー。本日のバイトは、声が枯れてしまい、全然仕事にならなかったんですが、これって  モンゴル800のせいなんですかね。それとも、カラオケの後に、さらに3次会へ行って、  カクテルとか飲みつつ「男って」とか語り合ったせいですかね。アーウー。



 −0916 雨降り−
 久しぶりに、松山に雨が降りました。  二階の窓を開けて、濡れた土の匂いを胸いっぱいに吸い込み、歓喜。  しおれていた庭木も、ひび割れたダムの底も、これで少しは潤うでしょう。人間の大部分  は水で構成されている、ということを、体全体で実感する感覚というのは、大変気持ちの  いいものでした。愛媛は、毎年水不足なんですから、こうして、雨…いや、もう水自体  を尊ぶ祭り、というのを作ればいいと思います。  たとえば、水を体全体で感じるような儀式ということで、祭りの代表に選ばれた人が、  神社で裸(ら)となり、水浴びをするわけです。そして、体を存分に潤したところで、  神様に感謝をする踊りを踊るのです。サンバや野球拳音頭よりも、よほど観光客に受け  そうな祭りだと思います。  しかし、この男女同権を叫ぶ方々が多い昨今。祭りの代表者も、男女平等になりかね  ません。若い女性である年はまだしも、ヒゲ面で筋肉質なオヤジが代表者になった年は、  全国から、コアなファンが集まり、別の祭典に変わりそうな気配です。  筋肉質の男の裸体ダンスを、無言でハァハァしながら眺める、筋肉質の観光客男達。  …それはそれで、うけそうな気もします。  体調悪いので、このへんで。サイトウでした。



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